先日、ある方との対話の中で、「あなたの仕事の“Why”(なぜ、それをするのか)は何ですか?」と問われ、私は即座に答えることができませんでした。
21年間、この仕事を続けてきて、自分には人に語れるほどの深い哲学などないのではないか。そう感じてしまったのです。
しかし、その対話を通じて見えてきたのは、私にとっての「Why」とは、特別な思想などではなく、日々の業務の中で、呼吸をするのと同じくらい「当たり前」に実践してきたことの中にこそ、宿っているということでした。
今日は、その私が無意識にこだわり続けてきた、「3つの当たり前」について、少しお話しさせてください。
1. なぜ、私は「まとめ役」であろうとするのか
私の仕事の中心は、相続の中心に立つ「代表相続人」の方に、徹底的に寄り添うことです。なぜなら、21年の実務経験の中で、手続きの煩雑さ以上に、ご家族間の調整という精神的な負担が、人々から笑顔と未来を奪う瞬間を、誰よりも見てきたからです。
だから、私の仕事は、ただ書類を作ることではありません。ご家族の心の負担を、私の専門知識で取り除くこと。それが、私が守り続けたい一つ目の「当たり前」です。
2. なぜ、私は「手続きだけで終われない」のか
私は、相続手続きという「入口」と「出口」を担う行政書士事務所の他に、その後の人生の「継続」を支える合同会社を運営しています。
なぜなら、手続きの完了はゴールではなく、その後の人生の安心まで見届けることこそが、専門家としての真の責任だと考えているからです。一度きりの関係で終わらず、お客様の生涯にわたる安心に責任を持つこと。それが、私がこだわりたい二つ目の「当たり前」です。
3. なぜ、私は「中立」でなければならないのか
私は、たとえ自分の意見があっても、お客様の前ではそれを抑制し、全ての関係者に対して公平であることを誓っています。
なぜなら、専門家が持つべき最高の誠実さとは、どんな背景を持つ人でも、安心して頼れる「安全な港」のような存在であることだと、理解しているからです。誰にとっても公平で、信頼できる社会の公器であること。それが、私がそうありたいと願う、三つ目の「当たり前」です。
これらの「当たり前」は、私が普段、意識せずに実践している、私の行動哲学そのものなのかもしれません。
このサイトは、こうした日々の仕事の中で感じる「なぜ、私はそうするのか」という問いについて、これからも考え、綴っていくための場所です。
もし、この文章が、ご自身の人生やご家族について考える、誰かの小さなきっかけになれば、それほど嬉しいことはありません。