人的資本経営は幻想か構造か ― 成果主義を超えて組織の未来を設計する

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「人はコストではなく資本である」。
人的資本経営という言葉が、今あらためて注目を集めている。
理念は美しく、耳触りもいい。

だが現実は、別の方向へと進んでいる。
行動や感情までもが数値化され、スコアとして管理される世界。
善意から始まったはずのこの概念は、やがて「人の価値は成果である」という構造の正当化装置へと変貌しつつある。

多様性、関係性、信頼といった測りにくい価値は、「見えないから評価できない」として、経営の視野から静かに失われていく。

今ある構造の限界

表向きには「人は資産」という正義が語られる。
だが実態は、定量化を通じて人を管理する構造の強化である。

人的資本の名のもと、人は「投資対象」となり、その価値は成果やスコアで評価され、比較され、選別される。

その結果、曖昧さや余白、プロセスの豊かさは排除され、「成果にならない貢献」は見えなくなる。
そして人は、”測定される自分”に適応するよう振る舞うようになる。

これは本当に「人を大切にする経営」なのか。
それとも、言葉を置き換えただけの旧来構造の焼き直しなのか。

解放構造設計という視点

この矛盾を超えるためには、「人的資本」という概念そのものを再定義する必要がある。
人は、本来、固定されたリソースではない。
関係性の中で循環し、変化し、組織を支える動的な価値だ。

人の価値を「構造的な役割」として捉え直す。
成果だけでなく、関係を整える力、場の緊張をほぐす知性、空気を読む感受性。
それらは目には見えにくいが、確実に構造を支える働きである。

人的資本とは、評価される”人”ではない。
構造を動かし、循環を生み出す”働き”そのものだ。

測定から設計へ

問題は、人が測定されることそのものではない。
測定に”合わせられ”、多様性が削られていくことだ。

解放構造設計が問うのは、指標ではなく構造そのもの。
「どのような構造であれば、人が継続して力を発揮できるか」。
その問いから、設計が始まる。

人を数字に切り取るのではなく、組織自体が自己修復し、自己更新できる構造を整える。
そこでは「測定の制度」ではなく、「再設計された環境」が主役となる。
人を”見える化”しても、見ようとしなければ、何も見えない。

結びにかえて

人的資本経営が幻想に終わるのか、構造として根づくのか。
その分かれ目は、「誰を評価するか」ではなく、「どんな構造を育てるか」という問いを持てるかどうかにある。

人の価値を数えるのではなく、人が価値を生み続けられる環境と構造を整えること。
それが、これからの経営の本質になる。

木下賢一

解放構造設計家

孤高にして至高。売らず、群れず、構造で惹きつける。 ある人は、それを「静なるカリスマ」と呼ぶ。 解放構造設計家 木下賢一 ──思想・構造・表現の三層を同時に設計し、 人を変えず、構造を変えることで意味と行動を立ち上げる。 Uncage合同会社 代表/令和行政書士事務所 代表。 長崎を拠点に、企業構造と家族構造の再設計を行う。 ▸ 詳細・連絡先|https://kinoshitakenichi.com

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